ぴゅう太は1982年にタカラトミー(当時はトミー)から発売されたパソコンです。
トミーから発売された、ということもあり、位置づけ的にはゲーム機とパソコンの中間のような機種なのだと思います。価格も59800円と当時のパソコンの価格帯から考えると非常に安価な設定で、カートリッジを採用していることからもゲーム機に近い感覚でした。
当時はバンダイからRX-78、タカラからはゲームパソコンM5といった「ゲームパソコン」が販売されていました。もちろんですがこれらの機種の間に互換性はありません。全て独自OSだったわけですが、とりわけぴゅう太がすごかったのが、
「日本語BASIC」
という一見矛盾しているようなBASICを内臓していたことです。
これはコマンドが
・カケ(PRINT)
・マワレ - カラ - カンカク - トジル(FOR文)
・イケ(GOTO)
のように、カタカナでBASICを記述するというとんでもないものでした。
はっきり言って、日本語BASICは圧倒的に使いにくく、後には英語でBASICを記述することのできるパーツも発売されました。
日本語BASICとは言っても、変数の定義は英語でしかすることができず、プログラムリストは英語とカタカナが乱立するむちゃくちゃなものになっていました。
一見するとイロモノパソコンに見えてしまいますが、BASICを子供にもわかるようにしたい、という意気込みを感じることができる、迷機であり名機だったと思います。
トミーから発売された、ということもあり、位置づけ的にはゲーム機とパソコンの中間のような機種なのだと思います。価格も59800円と当時のパソコンの価格帯から考えると非常に安価な設定で、カートリッジを採用していることからもゲーム機に近い感覚でした。
当時はバンダイからRX-78、タカラからはゲームパソコンM5といった「ゲームパソコン」が販売されていました。もちろんですがこれらの機種の間に互換性はありません。全て独自OSだったわけですが、とりわけぴゅう太がすごかったのが、
「日本語BASIC」
という一見矛盾しているようなBASICを内臓していたことです。
これはコマンドが
・カケ(PRINT)
・マワレ - カラ - カンカク - トジル(FOR文)
・イケ(GOTO)
のように、カタカナでBASICを記述するというとんでもないものでした。
はっきり言って、日本語BASICは圧倒的に使いにくく、後には英語でBASICを記述することのできるパーツも発売されました。
日本語BASICとは言っても、変数の定義は英語でしかすることができず、プログラムリストは英語とカタカナが乱立するむちゃくちゃなものになっていました。
一見するとイロモノパソコンに見えてしまいますが、BASICを子供にもわかるようにしたい、という意気込みを感じることができる、迷機であり名機だったと思います。
コメント
コメント一覧 (2)
BASICとグラフィック画面が分離独立しているところや、動くキャラクター専用のspriteがあったり。
高速メモリなんて高嶺の花、ウン十万の高級機でもおいそれとは採用できないもの
結果その後遅めなのは承知でウエイトかけたz80構成のmsxよりも遅かった
VDPが同じなので画面の見た目は全く同じ
16ビットが原因で流行らなかったようなマシンだ